咀嚼する時の感覚について

歯周病の治療や予防を目的として、正しい咀嚼をおこなってもらえるよう日々指導をしています。

その時に一番の障害となるのが、噛むということに対する間違った感覚や認識です。

その中で最も困ったのが、食物を強い力でバリバリと噛まないと、噛んだ気がしなくて物足りないというケースでした。

この方は指導の1回目から、物足りないと言っているわけではありませんでした。

正しい咀嚼の指導を開始して5回目に、強く噛めなくて物足りない、食事がストレスになると言ってきたのです。

通常、平均3回くらいの指導で概ね正しい咀嚼を身につけてもらえるのですが、中には5回指導をおこなっても悪い咀嚼から抜け出せない強者も少なからずいらっしゃいます。

このような方に共通しているのが、歯応えのある硬い食物が好物だという点でした。

正しい咀嚼では、食物の大きさが小さくなるに従って、徐々に奥の方の歯で噛むことになります。

大きな食物は前歯で小さく噛みちぎり、小さくなった食物を中間にある小臼歯で細かくなるまで粉砕し、とても小さな粒状になった食物を初めて奥の大臼歯ですりつぶします。

硬い食物が好きな方に聞いてみたらところ、全ての人が奥歯である大臼歯だけを使って噛んでいることがわかりました。

私はこのような噛み方をしたことがなかったので、試しに硬い食物を大臼歯で噛んでみたところ、歯が痛くて噛み続けることが辛くなってきました。

普段から奥歯で細かくなっていない食物を噛んだことがない人にとって、最初から大臼歯で、しかも硬い食物を噛むなんて痛くて痛くてできないことなのに、なんで硬い食物好きの人は、痛みなく噛むことができるのだろうという疑問がわいてきました。

硬い食物好きの患者さんに片っ端から質問したところ、どうやらこれらの人たちは硬い食物を

噛んでも痛いと感じないらしいことがわかってきました。

科学的に証明されたわけではありませんが、痛みに対しての閾値の上昇、つまり慣れによる痛みに対する鈍感化がおきていると結論付けられました。

さらにわかったことは、硬い食物好きの人は上下の歯を完全に接触させて噛んでいることでした。

正しい咀嚼ができる人は、上下の歯を接触させることなく、寸止めの状態で食物を噛み、咀嚼をおこなっています。

このことを指導した時、なかなかニュアンスが患者さんに伝わらないことに驚きました。

食物を噛んで、細かくする、咀嚼という動作は、基本的には無意識下で反射的におこなわれており、実際自分の顎や歯がどのように動いて咀嚼をしているのか、全く意識されていません。

咀嚼というものは、意識しておこなうものではないので、これはこれで全く問題ないのですが、姿勢や視線や頚椎の機能、食物の性状や好みなどの咀嚼を実際におこなう前の前提条件が異なる結果、正しい咀嚼と間違った咀嚼に分かれてしまいます。

正しい咀嚼をおこなうための条件について考えてみましょう。

① 下顎や舌や唇やほっぺたを自由に動かせる

② 歯や歯肉や顎の骨を傷つけないように力をコントロールする

③筋肉を上手に動かして、効率良く食物を咀嚼する

①については、咀嚼するときに正しい姿勢をすることで、自由に動かすことができます。

②については、咀嚼する時の感覚が重要となります。

③については、①の正しい姿勢と、②の感覚の両方が必要となります。

正しい姿勢は、正しい咀嚼をするための前提条件として必ず必要ですが、これについては別の機会で詳しく解説します。

正しい姿勢をしていても、正しい咀嚼ができるとは限りません。正しい感覚があって初めて正しい咀嚼が可能となります。

これから咀嚼する時の感覚について詳しく解説していきます。

これが正しい咀嚼をしている時の、歯の動きです。下顎の歯は数mm外から上顎の歯に近づいてきます。

上顎の歯に限りなく近づいた時点で、いわゆる噛み合わせの位置から外に2mmくらいズレた位置に来ます。

それからが大切です。

歯の斜面にそってスライドするように、いわゆる噛み合わせの位置に移動して来ます。

しかもこの位置で止まることなく、今度は歯の内側の斜面に沿ってスライドし、上顎の歯から離れていきます。

スライドしているときは一定の力加減で、決して暴力的な力を歯に加えることがありません。

下顎の歯の動きはまるで円をえがいているようなイメージの動きをします。

かたや間違った咀嚼の動きは、円を描くことなく、下顎の歯がまっすぐ上顎の歯に近づき、そのまま接触し、さらに上顎の歯を上に押し込みます。この時に歯にかかる力は、正しい咀嚼の何倍もの力になります。

上下の歯が接触した後のぐっと歯を押し込むように追加して噛みしめる行為が、噛みごたえなのだと思います。

すり鉢でゴマをする時を想像してみてください。

スリコギを円を描くように回転させながらゴマをするのが正しい使い方です。

スリコギがすり鉢にあたる力の強さは一定で、過剰な暴力的な力になることはありませんし、スリコギを動かしている腕の筋肉も疲れません。

ところが、スリコギを垂直的に動かしてゴマをつぶそうとした場合、すり鉢には暴力的な力がかかってしまいます。しかも、この動きで全てのゴマを細かくしようとすると、とても疲れてしまうでしょう。

円運動の方が、暴力的な力がかからず、しかも疲れません。

直線運動の方が、暴力的な力がかかり、しかもつかれてしまいます。

この円運動による正しい咀嚼ができるようになるためには、色々な場所の正しい感覚が必要です。

下顎に円運動をさせるためには、正しい姿勢が絶対必要になります。

頭を前傾させた顔が下を向いた姿勢。

下顎や舌や唇やほっべたの筋肉が、後方に引っ張られていない姿勢で咀嚼しなければなりません。

この正しい姿勢ができる人は、感覚的に下顎や舌や唇やほっべたが自由に動けるような、規制を全く受けていないという感覚を無意識に持っています。

食物を食べようとする時には、自然にこれらの筋肉が自由に動けるような体勢になります。

これは人が生まれつき持っている大切な感覚です。

さまざまな悪い要因が、この正しい感覚を薄れさせ、麻痺させてしまったのでしょう。

もうひとつ大切な感覚は、歯が痛いと感じる感覚です。痛いと感じることさえできれば、歯周病になってしまうような暴力的な力を歯にかけなくなります。

硬い食物を頻繁に食べ、悪い姿勢で食事をし、単時間で食事をすませるために大量の食物をほおばり、大臼歯だけを使って噛む。

その日々が、咀嚼に必要な正しい感覚をさらに失わせてしまいます。

人として本来持っているはずの失った感覚を取り戻すのは、とても時間がかかります。

間違った咀嚼をしていた期間が長ければ長いほど、正しい咀嚼になるまでの期間も長くかかってしまいます。

噛んだ気がしないとか、ストレスがたまるとか、舌や唇を噛んでしまうなどのトラブルが発生しますが、地道に正しい咀嚼への転換を続けていただきたいと思います。

たいへんな努力を必要としますが、人間が本来持っているはずの正しい感覚を取り戻して、ぜひ正しい咀嚼ができるようになっていただきたいと思います。

そうすれば、これからは歯が悪くならない人に変わることができます。

頑張りましょう!